“玄吾の森”
玄吾の森は、六甲山の北麓にあります。
江戸期には、木材の為の乱獲によって六甲山は
禿げ山となってしまいました。
そこで、約100年前、
神戸市に招聘された本多静六によって治山整備が行われ、
今となっては、
自然豊かな森林となりました。
そして、同じ時期に本多静六が手がけられたのが、
明治神宮の森でした。
そういう意味では、この森は明治神宮の森と兄弟と言えるのかも知れません。
とにかく、僕はこの森の荘厳な景色に
すっかり魅了され、
この景色を自然のサイズのままで守りながら、
既存の庭ではない、新しい森(庭)の
あり方を追求しながら、
独自の理想の景色を追い求めてきました。
この“玄吾の森”と関わることで、
僕は、自らやこの森に関わる人間に、
以下の制限を課して、この玄吾の森と関わっています。
— 見届けること —
最初に造成作業を行わず、
40年〜50年以上は自然の植生に委ね、
地形と樹木や生物との関係性の構築や、
森が向かう形の輪郭が現れるのを待つ。
— 安易な足し算を行わない —
一定の骨格が現れた森に対して、
選択的な除伐と枯死したものの整理を
基礎作業とし、特別な目的がない限り、
不自然な植生を持ち込まないこと。
安定した森に対して引き算を行い、
容易に足し算を行ってはならない。
但し、崩落地やすでに造成のかかった土地、
人の意図によって植生が成り立ってしまっている
状態の土地に関しては、その限りではなく、
足し算を行う事は認めることとした。
— 生死の螺旋 —
森の中では生死を等価値に扱わなくてはならない。
— 人として —
森に関わるものは素直でなくてはならない。
嘘と方便をひとつでも減らさなくてはならない。
— 地形をよむ —
地形に根差した植生でなくてはならない。
— 殺生 —
無駄な殺生をしてはならない
— 森自身で循環すること —
人が手を入れなくては循環できない状態を不健全とし、
森自体に循環が現れる姿を前提として考える。
— 建築物や構造物について —
建築物は控え、
森の霊性を支えるものでなくてはならない。
建築物が森を支配してはならない。
— 守人として —
相対的なものと絶対的なものの別を。
何を失ってはならないか、
また、何を変え続ける必要があるのかを
よく問答する必要がある。
森と建築
森を知ることで人としての生き方を学ぶ。
森の過去と現在を理解し、未来をともの示しながら、
理想の景色をつくり、
人の共存しうる領域に建築を置きました。
森の景色と写真
森自身が90年以上かけて作り上げた
ミヤコザサで覆われた深い緑の景色。
その他にも、
畏れをまとった森、美しい景色、
陽の沈む瞬間に現れる象徴的なこの森のブルーなど、
多くのシーンが存在し、記録し続けてきました。
この玄吾の森の景色に対峙した際の
そのままの躍動を印画紙に焼き付けて
届けるためのプロジェクトをつくりました。